今の妻との出会いには、本当に、心から、感謝している。自分の妻になれるのは、彼女だけだ。自分にとっての、彼女の存在は、まさに、ジョン・レノンにとっての、小野洋子みたいなものだ。自分と、彼女の結婚は、感受性と、感受性の、結婚なのだ。
生まれつき、独自の感受性を持っている、自分みたいな人間には、どんな女性でも、いいという訳には、いかない。だから、年月をかけて、結婚相手を、探し続け、最後には、異国の地・アメリカにまでも、探索範囲を広げて、探し求めなくては、いけなかったのだ。
でも、それが、報われて、彼女という人が、最後の最後に、見つかったから、良かった。
生まれつき、独自の感受性を持っているというのは、とても、大変な事なのだ。周囲の人々や、世の中と、すんなり、調和して、人が感じ、考える様に、自分も感じ、考え、人がやる様に、すべて、自分もやって、いわゆる、ごく、普通の生を、ごく、普通に、生きてゆく….などという事は、したくても、出来ない、自分にとっては、そんな、独特な感受性など、初めから、持ち合わせていない人の生が、気楽で、幸せに見えて、うらやましく思える事さえも、ある。
けれども、自分の周囲にいる、そういう人達のひとりに、そんな事を、言おうものなら、「何を言っているんだ、みんな、お前みたいに、独自の生を生きたくても、それが、出来ないから、仕方なく、世の中に従って、ごくごく、普通に、当たりさわりなく、生きているんだぜ….」などと、言われる。
それも、確かに、事実なのだろう…..そう、思う。
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