中学1年生の頃、ビートルズを聴いて、音楽に目覚めた。じゃあ、音楽に目覚めるまではどうだったかというと、当然の事ながら、目覚めるまではグッスリ眠っていて、音楽などというものは、特に、何とも思っていなかった。確かに、今にして思えば、後の、音楽一色の自分を予感させる兆候はあったが、予感させる兆候があっても、誰も、それを受けて、予感しなかったし、自分も、意識していなかった。音楽、と言えば、学校の、音楽の授業の事で、そんなものには、何の関心もなかった。
では、音楽じゃあないのなら、何だったのかと言うと、ビートルズを知る以前には、コメディアンこそが、自分のヒーローだった。
たくさんの子供達を含む、日本中のテレビ視聴者と同様に、僕も、「8時だヨ!全員集合」の、ドリフターズの、加藤茶が好きだった。
今だったら、ドリフターズと言えば、その、加藤茶のドリフターズが名前を拝借した、アメリカの同名黒人グループ、ドリフターズの事しか思わないが、当時は、もちろん、アメリカの音楽グループなどは、ひとつも知らなかった。
それから、年月が経ち、やがて、小学校6年生になり、テレビ番組「笑って!笑って!60分」の、小松の親分こと、小松政夫に、心酔する様になる。加藤茶の事は、今は、もう、実感がないが、小松政夫は、今、思い出しても、ものすごい芸人だと、心底、実感する。
けれども、小松政夫との出会いの数年後に、テレビの深夜放送で、立て続けに観た、「日本無責任時代」「無責任一代男」の植木等は、結局、これまでの一生を通じて、偉大なシンガー、又、コメディアン、あるいはひとりの人物として、僕に、多大な影響を及ぼし続ける事になった。その、2本の映画を観て、僕は、植木等の事を、最高にイカしていると思った。要するに、彼に心酔し、シビレた。
その、植木等と、小松政夫が、師弟関係だった事は、ずっと、のちに、何年も経ってから、知った。思えば、この、ふたりの芸風に、何か、共通する、洗練された雰囲気を、見ていたのかも知れない。
その、「無責任シリーズ」の、2本の映画を観た時は、多分、12歳位だったろう。それから、何年も経って、20歳位になった頃に、植木等/クレイジー・キャッツの代表的な歌・ひと通りを、カセットテープに録音してもらって、聴いた。そして、そのほとんどを、いっぺんに、気に入ってしまった。特に、「黙って俺について来い」という歌は、大好きになって、それから、さらに、何十年も経った今でも、口ずさんでいる。
植木等の、抜群の歌唱力。それに加えて、ユーモアたっぷりの歌詞と、絶妙でしゃれた、音の遊び。自由な遊び心と、音楽のクオリティーが、ひとつになっている。
植木等がメンバーである、“ハナ肇とクレージーキャッツ”は、れっきとした、ジャズバンドだ。しかも、ズラリと、スゴ腕揃い。コメディアンのグループとして、人気者になった後でも、高度なテクニックがなければ、絶対にできない様な音楽ギャグを、テレビや、ステージで、連発していた。
ジャズの母国である、アメリカに、僕は、もう、20年近く、住んでいるけれども、ジャズ本来の楽しさ、グルーヴを体現しているのは、日本では、この、クレイジー・キャッツだけだと思う。
最後に、僕の大好きな歌、「黙って俺について来い」の歌詞と、そのリンクを紹介して、終わろう。
ゼニのない奴ァ俺んとこへ来い!
俺もないけど、心配すんな!
「見ろよ、青い空!白い雲…….」
そのうち何とか、なるだろう!
植木等は、お寺の僧侶の子供で、自身も僧侶になるつもりで、仏教系の大学で勉強していたのだが、結局、音楽(ギターと、歌)の道を選び、さらに、コメディアンになって、大成功した人だ。そのせいか、植木等の歌には、バカバカしい中にも、仏の心にも通じる様な、深い人間理解、弱い者同士の共感、暖かさと、励ましがある。
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