心のブログ – ブログの心.
ブログを始めて、今日で、3週間と、1日目だ。今日から、3週間と、1日前に、完全な、知識ゼロ、経験ゼロから、始めた。何てったって、その日の朝に、まず初めにやった事が、Google検索で、「ブログとは何か」とタイプして、検索した事だった位なんだから、そもそも、ブログというのが、一体、何であるのかさえ、全然、わかっていない状態から、始まっている。でも、「ココロの遊び人」である、自分としては、その事を利用して、自分のブログを、「そんな、知識ゼロ、経験ゼロの人間でも、ブログで成功するとしたら、どの様に、成功するのか」という、実験の記録にしたいと思う。そうすれば、多くの人達の役に立てるだろう。自分でも、面白く、楽しくやれると思う。
そんな自分でも、ブログに、魅力を感じる。ブログそのものに、魅力を感じている。これは、自分の強みだ。特に、長期的に見れば、大きな強みだ。やっている事そのものに魅力があれば、その結果に関わらず、続けていく事ができる。成果のあるなしに関わらず、楽しんで、やっていく事ができる。これは、大きなプラスだ。
やりたくもない事を、お金になるから…..と思って、頑張って、時間とエネルギーを、注ぎ込む。それが、結局、徒労に終わって、時間とエネルギーと経費を無駄にしただけで、何にもならなかった、苦くも、いまいましい、心の痛みを、記憶に残すだけの結果になる。そんな経験も、僕は、した。でも、今、考えて見ると、「お金にならなかった」事が問題だったのではなくて、「お金の事だけを考えて、やりたくもない事をやろうとした」事こそが、問題だったのだと思う。それが、徒労に終わって、良かった。お金にならないで、良かった。もし、意図した通りに、お金になっていたら、その、やりたくもない事を、お金の為だけに、やり続けていただろうから。そんな生活は、最悪の最低であった事が、間違いないから。
話を、元に戻すと、僕は、ブログというもの自体が、好きだ。今のところ、僕のブログサイトを訪れて、僕の記事を読んだ人は誰もいないし、その状態が延々と続く可能性だってあるのだが(それだけで終わる場合も含めて)、それでも、自分のブログサイトが、世界中の、すべてのコンピューター、すべてのインターネット機器に向かって、開かれているという事実は、魅力があって、心をときめかせ、ワクワクさせる。それは、まるで、ドラえもんの、「どこでもドア」を手に入れた様な気持ちだ。そのドアを通じて、世界中の、すべてのインターネット利用者と、つながる事ができる。それは、もう、単なる「魅力的」を通り越して、「魅惑的」でさえある。その、「できる」という事だけで、ウットリしてしまう。何と、おめでたい人間だ….と、呆れさせるかも知れないが、自分としては、その事が、楽しくて、うれしくて、喜びで、それが、幸せで、幸せで、仕方がないのだ。「ココロの遊び人」である僕としては、最高の遊び道具を手にした気持ちだ。しかも、それを使って、収益を上げる事まで、可能だというのだから、単純な僕は、又もや、その「可能だ」という事実だけで、大喜びして、まだ一円も得ていない内から、スゴイ、スゴイと、心満ちて、幸せな気分になっている。
と、いう訳で、僕は、ブログそのものが、大好きになってしまったので、ブログでの活動を、収益化したいとは、もちろん、思っているのだけれども、そちらの成果のあるなしに関わらず、楽しんで、ブログをやっていけると思う。
ブログの、もうひとつの魅力は、ワクがない….という事だ。ワクが、ない。それは、一枚の、白い紙みたいなもので、それを、どう埋めるかは、自分次第なのだ。字を書いてもいいし、絵を描いてもいい。写真を貼り付けてもいいし、何なら、白紙のままで、タイトルだけをつけてもいい。まさに、(ココロの)遊び道具としては、最高の、最高だ。Youtubeでは、いわゆる、ブロガーの人達が、ブログのやり方、というのを、教えてくれているヴィデオを、たくさん、観る事が出来る。自分も、そういうヴィデオを観、又、Youtube以外でも、インターネットから、ブログを始める為の知識を得て、ほんの、3週間前までは、知識ゼロ、経験ゼロだったのが、仮にも、ブログサイトを所有するまでになった。で、ブログのやり方について、収益を上げる為には、こうやるんですよ、この様にすればいいんですよ、と、熱心に教えてくれる、ブロガー達みんなに、心から、感謝している。
その、一方で、何を書いてもいいし、何をしてもいいんだ、という、ブログの本質、その、単純な心の自由さというものを、大事にしていきたいとも、思っている。
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