僕は、ここ20年ほどは、アメリカ(主にサンディエゴ)に住んでいるのだが、今(7/04/2024)からちょうど、二か月後には、妻と一緒に、日本での、休暇の日々が、始まる事を、心待ちにしている。
憧れの国を訪れる様な、不思議な気分だ。生まれ育って、親しみ慣れた、日本のはずなのに……..。
これは、日本の友人に送った、メッセージの文章・そのままだ。
この友人は、大阪在住で、今回の日本での休暇でも、彼を訪ねて、妻共々、大阪に行き、一週間ほど、彼の住居に泊めてもらいながら、これ又、彼の好意により、観光ガイドになってもらって、京都で、名所を巡って歩く予定だ。
前回、日本で休暇を過ごした時には、妻と一緒ではなくて、僕ひとりだった。その時にも、大阪を訪れて、前述した友人の住居に泊めてもらい、大阪の街を見物した。それ以外の、半月ほどの日々は、東京の、妹の家に泊めてもらい、かつて住んで、親しみ慣れた地域で、旧友や、家族・親戚との再会を喜びながら、毎日を過ごした。
それは、二年前の事だったが、
先に書いた、「不思議な気持ち」は、その時に、すでに、あった。
これは、どういう事なのだろう?
アメリカで、年月を過ごしている間に、僕の日本観は、完全に、変わってしまった。その事を、ひと言で言うと、以前は、とっくにアメリカに住んでいても、まだ、日本に住んでいる日本人の目で、アメリカを見ていた様な気がする。今は、その逆で、すっかり、アメリカでの生活に慣れてしまって、その、アメリカでの暮らしから、日本を見ている。そして、その目は、アメリカに住んでいる人々が、日本を見る目にも、大いに、影響を受けているのだろう。
今の僕にとっては、遠くて近い国(地理的に離れているが、自国の身“近”な感覚がある国)であり、近くて遠い国でもある、日本。
9月に、僕は、日本で、何を見て、何を感じているだろうか。
ふと、その、近未来の自分を、心で、見た様な気持ちになった。
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