1978年、ロンドン – さまよい歩くセイブン.
1978年・1979年には、イギリスに住んでいた。もしかしたら、1977年の後半に、住み始めたのかも知れないが、はっきりとは、わからない。それらの年から計算すると、年齢的には、僕が14歳の頃のいずれかから、16歳の頃のいずれかだったという事になるが、これも、はっきりとは、わからない。年齢について、覚えているのは、ただ、ひとつだけで、それは、住み始めてから、しばらくは、15歳未満だった….という事だ。日本の中学校で、2年生を終えた直後に、イギリスに移った。
だから、イギリスの中学校、あるいは、カレッジの中学部に、編入、あるいは、転校という形で、学校生活を続ける事が求められていた。けれども、その流れが、スムーズにはいかなかったので、それじゃあ、とりあえずは….という事で、外国人の為の、英語学校に、通い始めた。その学校は、ロンドンの中心部にあった。そして、その学校でのレッスンの、前と後には、時間の余裕が、タップリと、あった。誰かが、学校まで、僕をエスコートするという事も、車で送迎するという事もなかったので、僕は、ひとり、電車に乗って、その学校に通った。そして、学校で、レッスンを受けている、数時間以外は、延々と、ロンドンを、さまよい歩いた。行くあてなんか、何もなかった。行き先なんか、どこでも良かった。孤独だった。十代前半での、初めての外国暮らしに、精神的なサポートは、全然、なかった。家族は家族で、楽しくやっていた様だったが、それまでも、いまいち、家の空気に馴染む事が出来ず、違和感を持ち続けていた僕自身は、一緒に楽しむ事は、出来なかった。
歩いた。歩いた。歩いた。何時間でも、ただただ、歩き続けた。現在地がわかっている事もあったが、全然、わかっていない事も、多かった。それは、今になって、思い出して見ても、そうだ。アア、あの時は、ケンジントン・パークを歩いていたんだな、とか、ピカデリー・サーカスのすぐ近くで、ヒッピーの路上演奏を聴いていたんだな、という様に、視覚的な記憶と共に、それがロンドンのどこなのか、わかる場合と、映像的な記憶は、生々しくよみがえるのに、それがどこなのか、知識としては、まるでわからない場合と、両方ある。しかも、その、どこなのかわからない、映像的な記憶は、ロンドンではない可能性もある訳で、そうなると、ただでさえ、わからないものが、なおさら、ますます、わからなくなる。
誰とも、共有していないし、誰とも、共有できない以上、それらの記憶映像は、僕自身の心の中だけに、ずっと、生きていく事になるのだろう。僕だけのものとして。
考えて見ると、僕の、心の奥深くには、その様な、誰とも共有できない映像や、感覚、あるいは、感情などが、いろいろ、ある。
それらが、僕を、僕にしている。それらこそが、僕を、僕にしている。たった今、その事に、気づいた。それらがなかったら、僕は、今の僕自身ではなくて、全くの別人として、生きていただろう。
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