
心の仕事 – サイキ・ユニット.
僕は、略称・UCSDHという病院で、いわゆる、精神疾患のユニットに、勤めている。UCSDH?何だ、そりゃ?と、思うかも知れない。“UCSDH”の、最後のHは、Healthで、この場合は、附属病院を意味する。そうか、じゃあ、Hはわかった….という事で、Hを外すと、UCSDになる。これでも、まだ、何の事だかわからないと思うが、UCLAなら、みんな、知っているだろう。University of California Los Angeles、つまり、カリフォルニア大学ロスアンジェルス(キャンパス)の略だ。UCSDというのは、要するに、その、サンディエゴ版で、カリフォルニア大学サンディエゴ(キャンパス)の事だ。僕は、サンディエゴに住んでいて、心の疾患を扱う仕事をしている訳だ。僕の職務の名称は、MHW (Mental Health Worker)と呼ばれているが、名前なんか、別に、どうだっていい。
僕は、週に4日間、心を病んだ人達、心を患った人達と、12時間=半日も、一緒に過ごしている。病練の名前は、英語では、サイキ・ユニット(Psych Unit)、又は、メンタル・ビヘイヴィアー・ユニット(Mental Behavior Unit)などと呼ばれている。ここで、働いている….と言うと、同じ病院内で、エレベーターに乗り合わせた、他の病練で働いている人にさえも、ウヘエー!という顔をされる時がある。何だ、お前、頭がおかしいのばかりに囲まれて、一日中、働いているのか、そんなの、自分はまっぴらゴメンだ….という事だ。
けれども、ここで働いていると、精神を病んだ患者達は、いわゆる、「まとも」な人々と、何が、決定的に違う訳でもない。いや、それどころか、その、「まとも」な人達の方が、精神に、重大な問題がある….と思わざるを得ない様な事が、折に触れて、よく、ある。
サイキ・ユニットの患者達は、
「心ない」一般社会から、離脱し、浮遊せざるを得ないほどに、心の世界に生きているのだ。
僕自身も、十代の頃から、すでに、社会の「心なさ」に悩み、傷つき、苦しみ抜いて来た人間だ。
だから、サイキ・ユニットの患者達の気持ちは、我が身の事の様に、痛いほどに、じかにわかる。
それは、全然、人ごとではない。
例えば、一日中、同じ歌を、繰り返して歌っている患者がいる。
そんなのは、モロに、かつての自分自身そのまんまだ。異常に感じるどころか、親しみさえ覚える。
僕の、その心の内は、患者達の方でも、間違いなく、感じている。
この人は、自分の事を、変な目で見ない。自分の味方、理解者で、無言の内にも、自分の気持ちをわかってくれているみたいだ….と。
サイキ・ユニットで働いていて、こんなにも、居心地が良く、仕事が楽しい理由は、その辺にある。
個人生活では、僕は、音楽を心から愛し、楽器をたしなみ、歌も歌うアーティストなのだけれども、そういう、心の世界に生きている自分自身というのは、ある意味では、この患者達と、大きな共通点があって、仲間の様にも思える。
患者達と、僕とを隔てる、ただひとつの違いは、僕が、バランスの取り方を知っていて、患者達は、それを知らない….という事だけ。
もしも、僕が、心で生きている世界と、身体で生きている世界(社会的な生活)のバランスを取り損ね、崩したら、その時には、僕自身が、入院する側に回り、ひとりの患者として、このユニットで、部屋を、あてがわれるだろう。
画家のゴッホなんか、生前には、画家でも何でもなかった。心を病んだ患者として、その療養生活を送る毎日の中で、精神安定に効果がある様だから、という理由で、絵を描いていただけだったのだ。
「心ない」人達が、まともな人間とされている一方で、心の世界を生きる人達は、精神を病んだ患者として、精神病練で暮らしている。
もちろん、心ない人間も、心を病んだ人も、どちらも、問題があるのだが、僕からすれば、心を病んだ人達の方が、より人間らしい。
最後に、当たりさわりのない範囲内(人物抜き)で、サイキ・ユニットの、ダイニング・ルームの写真をお見せして、終わる。

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