問題の解決を考え、解決する方法。今回の記事は、その第2回。
問題を、理にかなって、冷静に考えて、動き、解決しようとする。
多くの人々には、それが、ない。
そもそも、理を通して考えるという事を、多くの人々は、しない。
理を通して考えるには、それなりの訓練が必要だ。それは、アッという間に上達する様なものではないし、これだけやったら完全だ、もう十分だ、という事もないから、生きている限り、訓練を続ける、無期限の訓練期間が必要だ。
その訓練は、日常生活の中で始めて、日常生活の中でやっていくのが、一番、いい。その方が、実地で出来るし、現実に、役に立つ。
泳ぐ訓練は、水の中でやれ….だ。
多くの人々は、問題の解決を考えているつもりでいても、実際には、解決する思考ではなくて、それを妨げ、混乱させ、不可能にする思考を繰り返しているだけだ。
例えば、これらの思考の様に。
何で、こんな事になっちまったんだ?誰のせいだ?アイツか?コイツか?そうか、あのヤローのせいか。よーし、怒鳴りつけてやる!
こうしても、どうせ、こうこう、こうなって、解決しないだろうし、こうすれば、こうなるだろうし、アー!ダメだ!お手上げだ!
ひとつ、言えるのは、上記の例みたいに、「文学思考」では、問題は、解決しない……という事だ。
上記の、ふたつの例は、ありがちな思考だけれども、要するに、感情のドラマを思い描いているだけで、実地の生活から、遊離して、想像の中で、遊んでいるだけだ。
問題解決は、犯人探しではない。
こんな事になってしまったのは、誰が悪いのか。誰のせいなのか。ソイツを見つけ出して、そんな事になってしまった責任を取らせて、問題を解決しよう…..マア、それも、一案なのかも知れないが、それで解決するとは、限らない。その思考では、解決しない場合の方が、よほど、多いだろう。
さらに、もうひとつ。問題を解決するには、単なる憶測を、一切、やめる事。そして、事実そのものだけで、思考を組み立てる事。
そして、これが、最重要なのだが、「……だから、ダメだ。解決しない。おしまい」と、結論しない事。そうではなくて、「こうであるならば、こういう事があるならば、どうすればいいか。Aというアプローチで、うまくいかないのならば、うまくいくアプローチ・Bは何だろう?」と考える事。
当たり前の事なのだが、「ダメだ。解決しない」という結論は、問題を解決しない。だから、問題解決の思考を始める前から、その結論は、自らに禁ずるのが良い。
何故、ダメなのか、何故、解決しないのかという言い訳なら、百でも二百でも、いくらでも、簡単に見つける事ができるが、それをするのであれば、その事自体が、問題を解決する気がない、問題解決に真剣ではないという事なのだから、問題は、解決しないだろう。
問題が解決する思考、あるいは、問題が解決する精神態度とは、ややもすると、誰もが落ち入りがちな、単なる、ドラマティックな思考、感情だけで終わる、心のお遊び、実地の生活を遊離した、心の中だけのひとりよがりや、問題解決に真剣に取り組みたくない、怠惰ゆえの言い訳の羅列を避けて、問題を解決する、もしくは解決に向かう、実際的なアイデアを、求める事だ。これらを、ギュッとひとつに詰めて言うと、「解決する」という、確固としたゴールを設定し、それを心に据え続ける事だ。
その上で、問題解決を、考え始めると、「自分の思考が、同じパターンを、何度も何度も、グルグルと繰り返して、カラ回りしているだけである事」、そして、「自分が事実だとみなしている事すべてが、本当に事実なのかどうかは、確かめるまでは、決してわからないという事」などが、粘り強く、解決を考え続ける中で、必ず、徐々に、はっきりして来る。
問題解決の思考は、ひとりでやるのがいい。社会の雰囲気から離れ、人々から離れて、ひとりで考えるのがいい。よほど、冷静で、相談相手として信頼できる、的確な考え方をする・できる人と一緒に考えるのでない限り、自身の問題とその解決を、人と一緒に考える事には、メリットよりも、デメリット・リスクの方が大きい。下手をすれば、いいかげんな口出しをされて、思考を混乱させられ、解決に向かう思考を妨害されて、ひとりで沈思黙考すれば、解決できる可能性のある問題も、もはや、解決不可能にされかねない。
粘り強く、解決思考を続けていけば、問題は、解決する。だが、その解決は、あらかじめ、考えられる様なものでは、多分、ないだろう。その解決が、あらかじめ想像できる様な問題であれば、その問題は、アッという間に解決していて、問題として残る事もなかったはずなのだ。家の中で、物をなくして、どうしても、見つからない時の事を考えて見ればいい。なくした物は、そこにある。家の中に。手の届くところに。では、どうして、見つからないのか?答えは簡単。ありそうなところにはなく、なさそうなところにあるからだ。それを見つけようとして、なさそうなところを探す事をせずに、ありそうなところばかりを、いくら、探していても、それは、見つからない。自分自身の、決めつけ、その感覚が、それを見つけ出す事を、邪魔しているのだ。
問題の解決を「見つける」のも、つまりは、同じ事だ。この問題が解決するとしたら、こんな風にだろう、こんな形でだろう、こういう解決であるに違いない…..そう決めて、考え始めたが、いくら考えても、問題が解決しない….というのであれば、それは、多分、スタート地点から、すでに、間違っている。間違ったゴール設定をして、スタートしているのだ。スタート地点に戻って、「こうであるに違いない解決」というゴールではなく、「どういう形でかは、わからないが、本当に問題を終わらせてくれる解決」に向かって、改めて、歩み始め、歩み通す事だ。思いがけない解決が、その道の最後に、待っているのだから。
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