ブログ記事を書くという事.
文章を書く事自体は、ブログ・サイトをつくって、ブログ記事を書き始める、はるか前から、やって来ている。ブログ記事の文章も、それ以前の文章も、どちらも、同じ人間が書いているもので、だから、当然の事と言えば、当然の事なのだが、両者の内容には、大いに、共通点がある。では、両者のどこが、違うのかというと、それは、書いている、自分の意識だ。
ブログ記事というのは、スマートフォンであれ、コンピューターであれ、インターネットにアクセス出来る機器を手にしている、世界中の個人の、窓の外に置かれていて、窓を開けさえすれば、誰でも、読める。その意味で、ブログ記事というのは、僕が書いた文章であっても、その、書かれたものは、潜在的に、前述の、世界中の個人と、共有されている訳だ。世界のどこかで、ひとりの個人が、何の気なしに、その窓を、ガラリと開けて、そのすぐ外に置かれている、僕のブログ・サイトという「本」を手にして、ペラペラとめくり、本のページを、一枚なり、二枚なり、読む。そうやって、読まれる事を前提として、ブログ記事というのは、書かれている。僕のブログ記事だって、そうだ。そして、それこそが、ブログ記事を書く事の楽しさであり、ブログ記事と同じ内容の文章であったとしても、自身で文章を書いて、自身で読む事との、決定的な違いだ。
例えば、自分自身の素晴らしさを、客観的な視点からではなく、ただの自己満足に徹して、ほめたたえる….という文章であったとしても、それが、ブログ記事として掲載される文章であるならば、ことさらに、面白おかしく書いたり、あるいは、「オレ様は、大物だぜ!」という主旨の文章の中にも、ホロッとさせる、誰にでも覚えのある様な気持ちを盛り込んで、人々の共感を呼ぶ事も出来る。そうやって、何らかの形で、言葉のエンターテイメントに仕立てる事が出来るのが、ブログだ。
その、ひねりを加える事、アイデアを盛り込む事が、場合によっては、文章の主旨以上に、大事な要素にもなり得るのが、公開される文章であり、ブログの記事だ。
自分のブログ・サイトに公開された、その、自分が書いた文章の公共性を、僕は、楽しんでいる。サイト上の活動が、大小の収益になり得る事と並んで、「自身の言葉を、世界中の人々に届ける事が出来る」というのが、僕が感じている、僕にとっての、ブログというものの、最大の魅力なのかも知れない。届けられた手紙を、開封するかどうか、そして、読むかどうかは、その人次第ではあっても、やはり、それは、魅力ある事だ。
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