作詞者(作曲者) – あるいは、作曲者(作詞者).

作詞者(作曲者) – 作曲者(作詞者).

僕は、何年もの間、バンドで、又、ソロで、人前で歌い、楽器を演りながら、曲を書いていた。

何百曲も書いた、その内の、二十曲位は、今でも、ソラで歌える。

とは言っても、書いたのは、歌う為の曲だけではなくて、歌詞のない、演奏だけの、器楽曲もある。

それらの曲は、自分の心の一部であって、どこに行っても、ついて来る。日本にいようが、(今現在住んでいる)アメリカにいようが、全く関係なく、ついて来る。

僕の曲なんて、世の中では、誰も知らないが、僕の中では、揺るぎない存在があり、生命力がある。

ちなみに、この、僕のブログ・サイトに掲載されている詩は、実は、全部、元々は歌詞であって、歌うメロディーがついている。

これらが、さっき書いた、今でもソラで歌える、二十曲位のレパートリーだ。全然、思い出せない曲も、いくらでもある。あの時、こんな感じの曲を書いたよなア….とは、思い出せるのだが、歌詞も、メロディーも、思い出せない曲。

さらには、部分的にだけは、思い出せるのだが、残りが出て来ない曲。その、代表的なのが、これ。

カシミールの服に身を包み、

君がやって来る。

僕はと言えば、

窓辺にもたれて

君を待っている。

この続きが、間違いなく、あったのだが、そのメロディーは、はっきりと思い出せても、歌詞が、ぼんやりとしか、思い出せない。

実は、この歌の中に登場する、「君」という人物には、モデルがいて、それは、今もつき合いのある、長年の友人なのだが、彼は、こういう形で、自身が歌われている事を、知らない。

話は変わるが、僕が、初めて書いた曲は、英語の歌だった。

10代の頃の、2年弱のイギリス生活から帰って来て、間もない頃で、英語で曲を書く事自体は、どうという事もなく、当たり前に出来た。そして、前述した通りに、イギリスで生活していた事も手伝って、その時点までの僕は、英語で歌われる曲にしか、良さを見出せない、いわゆる、洋楽ファン、それも、徹底した、洋楽専門の、ロック/ポップスのファンであった。その僕が、日本に帰国したのちに、日本の高校に通い始めて、ある時、文化祭のステージで演奏する為のバンドをつくった。その、曲目に、「こんな曲が、欲しいよなア….」というイメージがありながらも、そのイメージに一致する曲が、知っているロック・ポップスの、様々な曲の中には、見出せなかったので、じゃア、自分で書こう…..と、書いた曲が、生まれて初めて書いた、曲らしい曲だった(作曲、とも呼べない様な、ふざけた、短い歌は、それまでにも、時々、つくってはいた)。この曲は、当時、知ったばかりで、大変に、感銘を受けていた、キング・クリムゾンという、イギリスのバンドの作風に、モロに、影響されて、書いた。そして、それを皮切りに、次々と、英語の歌を書いていった。今でも、覚えているのは、自分で書いた、ある曲に、自分で感心して、「我ながら、こりゃア、いい出来じゃないか!」と、思っていたら、あとでわかったのは、その自作曲が、実は、イギリスで親しんでいたバンド、The Jamの曲の、無意識のパクリだった…..という出来事。この、The Jamというバンドのシンガー・ギタリスト・ソングライターである、ポール・ウェラーに、当時の僕は、音楽的に、大きな影響を受けていた。

日本語で、曲を書く….という事を、身を入れて、やり始めたのは、洋楽並みに感動させる、日本語で歌うバンド、頭脳警察の音楽に出会ったのがきっかけだった。

それまでにも、大好きな洋楽を楽しみながらも、「僕自身が日本人なのだから、洋楽を愛するばかりではなくて、心から愛せる、日本のバンドが見つかったら、うれしいなア…..」とは、思っていた。ただ、そういうバンド、あるいは歌手が、なかなか、見つからなかった。当時、日本のバンド、又はロック系の歌手で、めぼしい人達と言えば、世良公則&ツイストとか、矢沢永吉/キャロル、あるいは、歌手・ギタリストの、チャーとか、「大都会」の、クリスタル・キング。その位しか、いなかったし、その、いずれの音楽にも、それほど、感銘は受けなかった。イエロー・マジック・オーケストラは、基本的に、インストゥルメンタル(楽奏)のバンドだったし、いくつかの、英語で歌われている曲にも、歌として、感銘を受ける事はなかった。自分の共感出来る音楽は、やっぱり、自分にとっては、イコール、洋楽なんだろうか….と、心から愛せる、日本のバンド・歌手の発掘を、あきらめかけていた、その時に、先述した、頭脳警察のレコードを聴いて、目を(音楽の目を)開かれた。イヤ、音楽だから、それを言うのなら、耳を開かれた、というべきか。いずれにせよ、その、頭脳警察との出会いで、僕のソング・ライティングも、完全に変わった。

この、作詞・作曲についての話は、書いていると、キリがないので、この辺にして置こうと思う。

最後に、クラフトワークという、ドイツの電子音楽グループ(当時の言い方をすれば)が、僕の曲づくりに、大きな影響を与えているという事について、触れよう。

僕からすれば、クラフトワークというグループは、持続する、ひとつの和音に載せて、独特なメロディーを、巧妙に展開していくのが、実に、上手だ。まあ、グループが、というよりも、その中心のふたり、ラルフとフローリアンの、卓越した、音楽的なセンスの良さだろう。その感じを、うまく取り入れて書いた曲が、僕のレパートリーには、二曲ほど、ある。クラフトワークというグループは、今では、世にあふれていて、普及し切った感のある、エレクトロニクスを多用した音楽の、草分けではあったが、それだけではなかった。彼らは、独自の優れた作曲をする、それ自体が画期的な事であった、ふたりのミュージシャンが率いるグループであった事を、今、改めて、痛感する。

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