フリー・ミュージック=即興音楽のバンドを、やっていた。もう、かなり、昔の事だ。ここ20年位は、アメリカに住んでいる僕が、まだ、日本で暮らしていた頃だ。
僕は、シンガーだった。芸名があって、「柴又健三郎」だった。正確に言うと、「日本即興音楽振興協会会長・柴又健三郎」だった。ステージの度に、メンバーが、大幅に変わった。変わらないのは、僕自身と、ドラムスの、オノデラ君だけだった。この、オノデラ君が、しっかりと、リズムをキープしながら、適当に、遊びで、ドコドコ、ダカダカやる。その、ビートに乗せて、僕が、思いつくままに、歌ったり、しゃべったりする。あとのメンバー達は、やりたい様にやる。曲のキーなどは、ない。打ち合わせも、ない。リハーサルをしても、本番になると、完全に違う事をやる。メチャクチャと言えば、メチャクチャだった。
バンド名もなく、曲のタイトルなんか、もちろん、ある訳がない。
予定調和というものが、およそ、一切なく、前準備が、ゼロの状態で、その瞬間瞬間に、思いついた事を、思いついたままに、やる。それが、すべてのバンドだった。
僕自身としても、はじめから、こんなスタイル(即興音楽)で歌っていた訳では、もちろん、なかった。このバンド以前には、店で売っている、レコード盤・CD盤に収まっている様な曲のコピーとか、僕自身も含めた、バンドの誰かが書いた、オリジナル曲などを、歌っていたのだが、それが、いつしか、自然に、フリー・スタイルになっていき、それに合わせて、バンド環境が形づくられた。
シンガーとはいえ、ステージでは、常に、即興音楽と共に、即興演劇も、かなり、演っていた。
その、芸風が、日本のバンド、「ヒカシュー」のシンガーで、劇団での活動もしていた、巻上公一の様だとは、たびたび、言われた。
この、ヒカシューのライヴは、僕自身も、仲間と一緒に、観た事があるが、影響は、受けていない。ただ、芸風が似ていただけだ。
それにしても、こうして書いていると、ちょっと、懐かしくなる。
あんな音楽だったら、今だって、出来るし、楽しく演れるだろう。
日本に置いて来た荷物の中には、当時撮った、ライヴ・ステージのヴィデオ・テープが、あるはず。
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