チャーリー・チャップリンの映画「サーカス(The Circus)」を観て.
チャーリー・チャップリンの映画「サーカス(The Circus)」を、観た。これは、初めて観る作品だった。無職で、金もない、住む場所もない、浮浪者である主人公が、思いもかけない成り行きで、サーカスの花形になる。で、ひとしきり、ストーリーが、それで続くのだが、やがて、その人気もなくなった頃に、ある事が原因となって、解雇され、放り出される。サーカスの団長の娘が、その彼のあとを追って来る。この娘は、団長である父親に、メチャクチャな扱いをされて来て、もう、戻りたくない、彼と一緒に行く….と、彼に告げる。だが、再び、無職・無一文のホームレスになってしまった彼は、娘を心から愛していながらも、いや、心から愛しているからこそ、娘の事を案じて、今や、彼に代わって、サーカスの花形となった、綱渡りの芸人と、彼女の仲を取り持って、結婚させ、娘を、その、人気芸人の妻として、サーカスに戻す。これで、サーカスの団長である父親も、その花形芸人に、これまで通り、サーカスにいてもらう為に、もう、娘を、デタラメに扱う事は出来なくなった。その事を、見届けた上で、彼は、「一緒に行こう」と言う、娘の言葉に、うなずきながらも、密かに、その場に残り、何台もの列になった馬車で、走り去ってゆくサーカス団を、ひとり、黙って、見送り、それで、映画は終わる。
ところで、僕は、アンハッピー・エンドで終わる映画は、嫌いだ。この映画だって、悲しい終わり方をする映画だとわかっていたら、そもそも、はじめから、観なかったはずなのだが、その事を知らずに、全部、通しで、観てしまった。アー、イヤだ、ハッピー・エンドが好きなのに、これじゃあ、後味が悪い…..などと、思いながら、その、ラスト・シーンの事を、考えるともなく、考えていたのだが、ある瞬間、気がついた。
お金、というものの、大切さに。
この主人公が、その娘と一緒になれなかったのは、ズバリ、お金がなかったからだ。無職で、無一文で、ホームレス。そんな状態で、到底、愛する女性を、幸せにする事などは、出来やしない。イヤ、幸せにしてやるどころか、ごく、普通の、まともな生活を、送らせてやる事さえも、ままならない….そう、思い、案じたからなのだ。
金なんか、なくったって、愛さえあれば….みたいな言葉は、ドラマティックで、カッコいい。人が、そう、考えたり、口にしたりするのも、無理はない。僕も、以前には、そう考える、ひとりだった。
今は、違う。自分自身、ひとりの女性の夫である者として、その立場から、考える。妻に、心を与えるのは、当然の事として、その上で、妻の為に、ちゃんと、お金の事も考慮して、十分なものを、満たしてやってこそ、愛だと思う。
だが、本当に、衝撃的な気づきは、さらに、そのあとに、来た。
ハッと、気づいたのだ。僕の妻は、僕を信じて、愛だけで、僕と、結婚した….という事実に。
それは、それこそが、感動的だった。感動的な、気づきだった。
僕は、妻と婚約した時も、その1年後に、結婚した時も、経済的に、その後の暮らしのあてになる様な、何がある訳でもなかった。
結婚後の、金銭的な保証がない様な男性などは、はじめから、結婚相手の候補にしない女性も、さぞかし、多いのではないかと思う。
でも、僕の妻は、僕を信じて、愛だけで、僕と結婚してくれた。
そんな、彼女の事を、僕は、心から、幸せにしたい。必ず、幸せにしよう。ベストを尽くして、幸せにするのだ。今一度、堅く、心に、そう誓った、瞬間だった。
映画の、思いがけない結末は、さらに、僕の心を、思いがけない結末へと、導いてくれた。それは、それこそが、ハッピー・エンドであり、同時に、新たな物語の、ハッピー・ビギニングだった。
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