アメリカは、自由の国だから、いいなア….と、アメリカ人も、他の国々の、多くの人々も、思う。でも、自由というのは、本質的に、けっこう、大変なのだ。
だって、考えても見れば、いい。
物事を、自由に決めて、実行し、いい結果を出すには、よほど、自分自身を知り、自分が何をやりたいのか、何をやろうとしているのかを知り、その上で、現実の世界を知り、すべてを、考え抜いて、思慮深く、注意深く、やらなくてはいけないのだ。そうではなく、ただ、サア、自由なのだから、やりたい放題で、何でもかんでも、気の向くままに、やろう!という事になると、ロクな結果には、ならない。そういう生き方をしていると、まず、間違いなく、あらゆる、可能な選択の中で、一番、次元が低くて、一番、安易で、それ故に、自堕落な道を、まっしぐらに、つき進む事になるだろう。そして、その責任は、全部、自分自身にあり、誰にも、文句は言えない。当たり前だ。自分自身で、選んだ道なのだから、すべて、自分のせいだ。自由だからと言って、ピストルを買って来て、考えもなく、その辺で、撃ちまくったら、どうなるのか。自由だからと言って、面倒な、生活管理、健康管理などは、一切せず、稼いだ金は、パッパと使って、財布はいつも、スッカラカン、必要な支払いも、出来ず、その一方では、酒の飲み放題で、アルコールに浸っていたり、時間が許す限り、家でゴロゴロして、節度もなく、せっせと、ファストフードや、スナックを口に運び、アイスクリームを食べながら、テレビを見続け、ヴィデオゲームで遊び、くだらないおしゃべりを、延々と、電話でしていたら、どうなるのか。あるいは、自由だからと言って、麻薬におぼれて、やめられなくなり、日々が、それだけになってしまったり、メチャクチャな、車の運転をして、その結果、事故を起こし、自他を傷つけ、命さえ損なったり、はた又、自由だからと言って、デタラメな、異性とのつき合いで、無責任で、心ない結果に、傷つき、又は、余りにも高い代償を支払う羽目になるか、誰かが、支払わされる事になったら、どうなるのか。
以上、長々と、書き綴ったが、これらは、すべて、直接、又は、間接的に、自分が、現実に知っている、書いている事の実例である、誰かを思い起こしながら、書いたものだ。自由、という、この、素晴らしい言葉に、踊らされて、多くの人々が、そうなっている。
他方では、一般多数のアメリカ人達は、ごくごく、保守的に、生きていて、自身の属する、閉じた共同体の中で、その慣わしに、忠実に従って、極めて、視野の狭い、限られた精神生活をしていて、自由になど、全然、生きていないのが、現実だ。でも、それは、ひとつの、賢明な選択ではあると、思う。自由という、火を、もて遊んで、ヤケドをしたり、人の家を、火事で、燃やしてしまう位なら、ある意味では、愚鈍でさえ、あるかも知れない、ひとりの、素朴な村人として、村のしきたりのすべてに従って、生きた方が、いい。
じゃあ、そんな風に、他の事ばかりを、次々と、あげつらい、書き綴っている、この自分は、どうなのかと言うと、自分は、例え、大変でも、責任を持って、自由を生きたいと、望んでいる。自分で選んで、生きている、アメリカだ。それで、どんな結果になっても、誰にも、文句は、言えない。すでに、先の文中で、書いた通りだ。
どんな結果になっても、この文章を、今、読んでくれているみなさんには、その、結果の、生き証人になって欲しいと、思っている。もちろん、願わくば、幸せな、喜びの結果の、生き証人として…..。
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