有能なマネージャーが、自分がマネージメントをしている、タレントを見る様に、自分自身を見る。
有能なマネージャーは、自分がマネージメントをしている人物に対して、何としてでも、優れたところ、いいところを、多く、深く、引き出して、客観的に、認められる様な形に、現わそうとする。凡庸に考えれば、マイナスでしかない様なところさえも、何とか、それを、逆転して、プラスなところに出来ないものかと、考える。それが、結局は、マネージャー自身の利益になるからだ。誰もが、自らに対して、その様な見方をするならば、素晴らしい事になる。自分自身の、欠点ばかりを、見て、自分なんか、どうせ、ダメだ…などと思う人は、いなくなるはず。
自分自身に対して、余りにも、ネガティヴであるというのは、要するに、客観的では、ないのだ。それは、これまでの、過去の、自分自身に対する、自分の見方、過酷なまでに、徹底して、ネガティヴだった見方、意味もなく、やたらと、むごかった見方、今、わかって見れば、自らに対する、精神的な虐待、心的暴力以外の、何物でもなかった見方を、思い起こす時に、つくづく、思い知らされる。
人間は、見方次第、引き出し方次第であり、持っていき方次第、プロデュース次第だ。様々な分野で活躍している人間達と、社会的には、凡庸で終わっている人間達との間に、その、人間的な資質として、それほど、違いがある訳ではないし、ポテンシャルに、決定的な差があるという訳でも、ない。
例えば、自分みたいな、特に、ハンサムであると、思われる事もなく、これまで、ずっと、生きて来た人間であっても、その自分を、モデルにしよう、と、誰かが、思い、自分自身でも、モデルになりたい、なろう、と、思うのであれば、それは、現実になるだろう。
モデルであろうが、学者であろうが、ミュージシャンであろうが、何であろうが、みな、同じ事だ。
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