チズルハースト(Chislehurst) – イギリス生活の思い出.

イギリスでは、Chislehurstという、余り、パッとしない名の町に、住んでいた。

イギリスという国自体に、何か、深く、Depressiveな空気を感じつつ、生活していた。ひとつには、日本に比べての、天気の悪さが、その印象の、原因だったかと思うが、それだけであったかどうかは、わからないし、個人的な感じ方が、大きかったかも知れない。客観的にも、個人的にも、その印象の原因を、憶測すれば、いくらでも、出来る。

イギリスで過ごしたのは、2年弱ほどでしか、なかったのだが、その後に続く、生の全体に、今に至るまでも、巨大な影響を、及ぼしている。良くも。悪くも。

イギリスで、日本の外にある国々の存在を、初めて、実感で、知った。それは、イギリス自体だけではなくて、カナダ、オーストラリア、香港、あるいは、インドといった、かって、イギリスの植民地だった国々の存在が、生活の中に、はっきりと、あった。同時に、イギリスにとってのアメリカ、イギリスにとってのアジア諸国、イギリスにとってのアフリカ諸国、南アメリカ諸国の存在も、日本にとってのそれらとは、距離感も、存在の意味合いも、まるで、違うものとして、新たに、実感された。日本(人)蔑視も、その、余りのえげつなさ、あからさまな無神経さ、愚劣さの故に、否応なしに、事実、あるものとして、認識せざるを得なかった。日本にとっての日本人は、少なくとも、白人達にとっての日本では、全然、ないのだと、子供心に、はっきりと、知った。

自分の、今日(こんにち)に至るまで続く、音楽との、深い、個人的・密接な関わり…..。その、土台となる素養は、当時の、イギリスでの生活が、築いてくれた。

日本とは、完全に違う、音楽環境が、イギリスでの生活には、あった。それまでの、日本での生活でも、すでに、いわゆる洋楽には、触れていたし、洋楽の中でも、ビートルズが好きで、学校の仲間達と、その、コピーバンドを組んで、歌っていたが、その頃、中学二年生だった自分には、自分が、何を歌っているのかさえも、実のところ、わかっていなかった。それが、イギリスで生活していく過程で、生活の次元での英語を覚え始め、洋楽=英語の歌には、ちゃんと言葉の意味があるのだ….という事が、初めて、肌で、わかった。

そして、英語の歌を、一曲一曲の中で歌われている、その、言葉の意味を理解しながら、聴き始めると、それまでの、自分の、個人的な、音楽の世界が、まるっきり、変わってしまった。

それを、最も、よく、象徴しているのが、ビートルズに対する、自分の変化だ。英語が、わからない頃は、自分にとってのビートルズは、“ポールと、他の3人”だった。どう見ても、ポール中心のバンドにしか、思えなかった。だが、英語がわかる様になって、ジョンの書く言葉が、その、メロディーと共に、心に、触れ始めた。歌を、その、言葉で、聴く様になったから。

話を、少年時代のイギリス生活に戻すと、イギリスでは、聴けるだけの音楽を、聴けるだけ、聴いた。テレビや、ラジオの、音楽番組を通して、ヒットチャートは、常にチェックしているのはもちろん、ジミ・ヘンドリックス、ボブ・ディラン、キンクス、あるいは、レッド・ゼッペリンといったミュージシャン達の音楽も、イギリスで、初めて、聴いた。ある時などは、家の近くの、教会のバザーで売られていた、個人的に録音された、大量の、オープンリールの音楽テープを、ズシリと重い、テープ・プレイヤーと一緒に、買って来て、そのテープの山を、片っ端から、聴いていた。ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンドなんて、イギリスでも、そんなに、知っている人は、いないだろうが、その、テープの山の、数本に、収録されていた。
The Whoの曲も、入っていたのだが、たまたま、初めに流れて来たのが、Bucket Tという、エラく、ふざけた感じの曲で、その後、しばらく、The Whoというのは、コミックバンドなのだと、思い込んでいた。

もう、ひとつ。日本では、音楽、というのは、ロックだろうが、あるいは、ジャズだろうが、何だろうが、すべて、頭の音楽であり、身体の音楽では、ない。日本に生まれ育った自分自身も、本来は、もちろん、その例に、漏れなかったのだが、イギリス生活で、それが、変わって、音楽とは、ビートを、身体で感じ、動きながら、聴くもの、演るものになった。つまり、音楽と、ダンスが、同じ、ひとつのものになったのだ。

イギリスでは、歩いた。どこに行くともなく、ひとりで、ひたすら、歩いた。多くの場合、Charing Crossという、自分の、東京の感覚で言えば、新宿駅みたいな駅で降りて、そこから、歩き始めていたのではないかと思うが、事実は、まるで、違うかも知れない。何しろ、今から、45年も前の事なので、覚えている事だけしか、覚えていない。でも、歩いて行った先にあった場所は、覚えている。公園とか、テムズ川とか、レコード屋とか、本屋とか、名も知らない、あの通りとか、この地域とか。路上のミュージシャン達の事も、よく、覚えている。それらは、映像・画像として、自分の心の中に、残ってはいるが、その、心の中の、細かなニュアンスは、到底、言葉になど、出来ない。

イギリス。今、再び、行って、住んで見たら、45年前とは、全く違う体験に、なるかも知れない。母校は、Eltham Collegeというのだが、45年前とは、かなり、
変わっている様子だ。これは、つい、さっき、思いついて、Youtubeで、同校の関係のヴィデオを探し、見つけ、観て、感じた事だ。

この学校で、Music societyというのに、属していた。Stranglersの、2nd album (“No More Heroes”)は、そこで、聴いた。レコードを聴きながら、その時に、出席していた全員が、Hugh Cornwellの歌う、
”良からぬ“ 歌詞を大合唱していたのを、覚えている。

ちなみに、この文章は、思い出した事、思いついた事を、あとからあとから、書いているだけなので、ついに、結論に至り、ハイ、こういう事です、では、おしまい…..という事は、ないと思うから、又、何か、思い出し、あるいは、何か、思いついたなら、又、続きを書くとして、今日は、これで、終わりにしよう(などと言って、二度と、戻って来ない可能性も、大きい)。

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