メキシコ.
メキシコ行きの飛行機に乗り込んだところから、話を、始めよう。メキシコの航空会社が運営する、その、飛行機自体が、実に、貧乏臭い。旅客機というよりも、その辺を走っているバスに、ただ、翼をつけただけ、という様な印象を受けた。座席には、毛布も、イヤフォンも、何も、備えられていない。ずっと乗っていても、スナックも、食事も、飲み物も、いや、それどころか、水の一杯さえも、出ない。メキシコ・シティーの空港に到着して、車で、街を、走り始めた。首都だというのに、みすぼらしい。首都的な豪華さなど、まるで、ないし、何だか、田舎っぽい。そして、至るところに、ペンキの、落書きが、目についた。どこを見ても、汚い感じがする。
メキシコ・シティー空港の建物自体が、何だか、パッとしない、日本で言えば、ひと昔前の、地方の駅ビル….みたいな、印象だった。
だが、それは、ただの始まりだった。これから、メキシコでの思い出の、断片断片を、思いつくままに、取り出し、並べて行きたい。
メキシコ行きの、主な目的は、知人の、誕生日パーティーに、出る事だった。テケスキテンゴという名の、湖近くの、サマーハウスみたいなところが、その、会場だった。暑かったが、エアコンなどなく、扇風機は、半分壊れていた。そこで、泊まりがけで、その知人の誕生日を祝いに集まった、多くの人達と、一緒に過ごした。もちろん、そこに集まった人々は、自分自身以外は、全員が、スペイン語を母国語としていて、カタコトの英語をしゃべる人さえも、ほんの少数しか、いなかったが、苦には、ならなかった。その、ひとつの理由は、多くの人達が、大変、人なつこくて、とても、フレンドリーだった事だ。特に、メキシコ現地の、トヨタに勤めていたという、ラウロという人は、トーゴーサン、トーゴーサン….と、親しみを持って、友達扱いしてくれた。
まだ、明るい時間に、そこに到着して、適当に、時間を過ごしていたのが、やがて、夕方になって、誕生日パーティーが、始まると、マリアッチ(メキシコの、伝統的なスタイルの、音楽グループ)が来て、歌い、演奏し、自分も、他の人達と共に、輪になって、踊っ
た。それに続いて、3人編成のバンドが、歌と演奏を始め、歌謡曲らしい曲目を、次から次へと、ひとしきり、演った。その演奏が終わって、バンドが去った後は、アルヴァロという男が、ギターを弾き、会衆をリードして、共に、歌を歌いながら、観客の内から選んだ即席メンバーに、打楽器を担当させて、遊ばせ、楽しませる….というひとときに、興じていた。当然ながら、無作為に、会衆の中から選ばれた人達に、打楽器など、まともに出来る訳もなく、リズムのパートは、余興の域を出なかった。その様子を、眺めていたら、突然、誕生日パーティーの主役の女性が、自分を呼ぶので、言って見たら、あなたも、やってごらんなさい…..と、促された。で、会衆の前に、出て行くと、その、ギターと歌をたしなむ男が、「又、別の素人が、もうひとり、出て来たか」という感じで、軽く、茶化しながら、自分を、その場に用意されていた、ボンゴという打楽器の奏者に迎え、それまで通りに、再び、歌い始めた。ところが、実は、自分には、打楽器の心得が、あったのだ。その日のパーティーに居合わせた、誰ひとりとして、知らない事ではあったのだが、自分は、かつて、バンドで、ボンゴを叩いていたのだ。間もなく、歌とギターの男が、歌と演奏を続けながら、いぶかしげな顔をして、こちらを見た。何だ、この東洋人は?どうして、ボンゴが、ちゃんと、まともに叩けるんだ?この、思いがけないハプニングに、観客達は、喜んでいた。やがて、曲が終わって、拍手喝采と、アンコール!アンコール!の合唱を受けたのだが、自分が出るまでは、ただひとり、音楽の心得がある者として、実質的な独演会をやって、いい気分になっていた、歌とギターの男は、何だ、面白くない….という顔をして、ギターをそこに置いて、引っ込んでしまったので、それっきりで、終わってしまった。
そうやって、そのパーティーで、踊ったり、ボンゴを叩いたり、持参した、ハーモニカを吹いたり、あるいは、他の人としゃべったりして、楽しくやっていると、ひとりの、メキシコ人の少年が、近づいて来て、カタコトで英語をしゃべる、他の誰かを通訳にして、こんな事を、告げた。あなたの、そのままを、ずっと見ていて、本当に、素晴らしいと思った。僕は、とてもシャイなのだけれども、僕も、あなたの様になりたい….と。そんな事を、自分が、言われるとは、まさか、夢にも思わなかったので、当惑した。とっくに、メキシコから帰って来た今も、その事を思い出す度に、当惑している。でも、まあ、その少年の為に、何か、役に立てたなら、良かった。
メキシコには、二泊した。二泊目が、その、サマーハウスだったのだが、一泊目は、その、誕生祝いのパーティーの主役である、メキシコ人女性のアパートだった。
どういう成り行きでか、空港に到着してから、車で、メキシコの軍隊が所有している区域に行き、そこで、しばらく、歩き回って過ごし、それから、一夜目の宿に提供された、そのアパートに行った。
そうか、その、軍隊所有の区域に行ったのは、その、パーティーの主役である女性の一族の誰かが、軍隊に由縁があったからだった。
現に、その区域内にある、一族の誰だかのアパートに、行った。その事を、たった今、思い出した。
で、そのアパートに到着して、その夜の宿に提供してもらった部屋に、旅の荷物を運んで、ひとしきり、休んでから、クエルナヴァカの街に、車で、出かけて行った。
クエルナヴァカという街は、メキシコシティーとは違って、きれいだったし、優雅な雰囲気だった。スペインの、植民地時代には、富裕層の、別荘地であったという。道理で、何かしら、ヨーロッパの街を歩いている様な感じだった。ここで、夕方から、夜にかけて、過ごし、歴史ある教会堂を訪れたり、妻が、買い物をしたりしたのが、今回のメキシコ滞在中、唯一の、観光旅行的なひと時だった。
そして、その、次の朝、朝食をとる為に入った、ある、カラフルなレストランの壁には、メキシコの特産である、テキーラに似た、メスカルというお酒を飲んでいる、若い女性の絵のポスターが、貼ってあった。面白いと思って、写真を撮って、その場で、大阪の友人に送った。でも、その時点では、ポスターの女性が、何を飲んでいるのかわからなくて、同席のメキシコ人女性に訊いて見たら、メスカルという酒だ、と、教えてくれた。と、そこまでは、良かったのだが、すぐに、それが、飲んで見ろ!飲んで見ろ!という話になって、朝っぱらから、強烈なのを、何と、3杯も、飲んでしまった。
ザカテペックという街にも、訪れた。その、独特な印象は、言葉には、出来ない。その印象を、現す言葉を、心で、探し続けている。
クエルナヴァカの住宅街を歩くのは、楽しかった。色彩感覚が、違う。建物のデザインも、発想からして、完全に、違う。新鮮な驚きが、見るものすべてに、あった。
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以上は、限られた時間内で、時列に構わず、メキシコでの日々を、思い起こすままに、書き綴った。
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